登坂勇のお城巡り

 

登坂勇が、インターネット上でお城巡りをします。

皆さま、これを見て、お城に興味を持てたなら、ぜひ実際のお城を巡って、感想を聞かせてくださいね。

 

現存天守

今、日本で当時の物そのままに残っている現存天守は12あります。

その天守を見てみましょう。

復原天守

ここでは、復原された天守を見ていきましょう。どれも素晴らしい形で作られております。

復興天守

天守がかつて存在した復興天守。多少の違いはあれど、やはり美しいですよね。そんな復興天守を見てみましょう。


登坂勇のPICK UP


姫路城

南北朝時代の貞和2年(1346年)、姫山に築城された姫山城が姫路城の始まり。その後、安土桃山時代の天正8年(1580年)、羽柴秀吉が三重の天守を築いて近世城郭とし、姫路城と改称した。このテキストは、サンプルのテキストです。これらのテキストを書き換えて、コンテンツを作成することも可能です。

高知城

関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601年)、掛川城から移った山内一豊によって大高坂山の地に近世城郭として築かれた。

 

城郭構造は梯郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。

弘前城

津軽地方を平定した初代藩主津軽為信の志を継いだ二代藩主信枚が慶長16年(1611年)に築城したのが始まり。本丸南西隅に五重六階と推定される天守をはじめ8基の櫓と数多くの櫓門が築かれた。

以降、津軽氏の居城として廃藩に至るまでの260年間、津軽藩政の中心地となった。

松本城

戦国時代の永正年間(1504-1520年)、小笠原氏が林城を築城し、その支城の一つとして築いた深志城が松本城のはじまり。天正10年(1582年)、小笠原貞義が旧領を回復して城下町の整備に当たり、松本城に改称。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の後、小笠原氏にかわって石川数正が松本城に入り近世城郭の普請と城下町づくりに着手、その後城主になった松平直正が天守に辰巳附櫓、月見櫓を増築した。